2014年7月25日金曜日

ヒンドゥー教について

今回は、ヒンズー教についてです。

ところで、英語はHinduismですが、日本語だとヒンズー教なのかヒンディー教なのかいまいち分からなくなります。でも、ヒンズー教だと何だかマヌケな響きですね。

あ、ウィキペディアみたらヒンドゥー教でしたね。

ここにも呼び名についての記事がありますね。

http://blogs.yahoo.co.jp/pwbdt973/35956421.html

皆、なんて言って良いのか分からなくなってるんですね。
まぁ、こんなの日本人だけが気がかりになるところなのでしょうね。



さて、与太話はその辺にして、ヒンドゥー教について語ります。



まず、特筆すべき点はヒンドゥー教は”おそらく”世界中の宗教の中で最古のものではないかと言われている点です。

今日では、8億人以上の信者がいると言われています。



ヒンドゥー教徒に団結されて攻めこまれたら日本なんてひとたまりもありませんねw


またヒンドゥー教はインド教と呼ばれるくらいインドでは信仰されている宗教です。
ナマステ~ヒンドゥ~



さて、他にも特記すべき事項といえば、かの有名なカースト制度ですね。




カースト制度とは、人民を5つの位に分けるというシステムのことです。
これらの階級に属する人々を”Jati”または”subcastes”と呼びます。



またカーストの階級は、階級毎につける職業を区分けします。



すなわち、その階級に生まれつけば、自ずと就ける職業は限られてしまうのです。


中でも、最下層の”触れてはならない人々(Untouchable)”は、死体洗いやゴミ掃除などの誰もが嫌がる職業にしかつけません。

これらの制度を最初は肯定していたマハトマ・ガンディーも後に、非人道的な制度としてカーストを批判的な目で見るようになりました。

おそらくこれを作った人にガンディーが出会ったら”助走して殴りつける”レベルでしょう。







さて、次にヒンドゥー教を語る上で欠かせない要素として、”ヴェーダ”という物があります。

ヴェーダというのは様々なインドの神話を織り交ぜて作られた教典です。

これはヒンドゥー教の元になったと言われています。

また、ヴェーダは世界最古の教典と言われています。この辺りが、ヒンドゥー教が世界最古の宗教と言われる所以なのかもしれませんね。




とまぁ、こんなところですかね。

次回は、ヴェーダから紐解くヒンドゥー教の概念を説明してみようと思います。

それにしても大学があと数日で始まる・・・憂鬱です(´;ω;`)


2014年7月22日火曜日

アジアの宗教とその文化について

前回は、非常に情けない記事を投稿してしまったが、あえて消さずに残しておきます。
まあ、10年位経った後に見れば、大したことではなかったと思える日が来るでしょう。


さて、今回は自分が学んだことを文章にしてまとめて行きたいと思います。




アジア学の教科書を1時間で読み進めた範囲を、1時間でなるべく文章にして起こしていきます。




まず、アジアに存在する主な宗教。

ヒンズー教、ジャイナ教、仏教さらに儒教、道教、ユダヤ教そして神道。

今、文章を書いていて思いましたが、私は英語の教科書を日本語に訳して、今、ブログを書いていいるのですが、なぜ神道だけ「◯◯教」というように「教える」の文字が末尾につかないのでしょうね?

他の宗教にならって、神が教えると書いて、「神教」ではダメだったのでしょうか?

この前、漫画で鳥居から本殿?までの真ん中の道は神様の通り道である。というのを見たが、道が特別な役割を果たしていたりするのだろうか?

ん?でもそうなると道教なんて道を教えるなんてすっごいダイレクトな意味になりますね。
案内人?案内人なの?

あと読み方も気になりましたね。どうきょうは英語daoismだおいずむと読むのですが、何だか音が似ていませんか?って当然か。道って感じは中国では元々DAOと言うのかもしれませんね。

え~、ググってみたらそうでした。

http://dictionary.hantrainerpro.com/chinese-english/translation-dao_way.htm



とまあ、今日はアジアにはたくさんの宗教がありますというところで話を示させていただきます。

次回は、ヒンズー教についてです。

2014年7月16日水曜日

ここ最近、すこぶる調子が悪い

もしかしたらこのブログ、両親や友人が見てるかもしれないが、もうどこかに弱音を吐き出さねばやってられない。

今年の春休み辺りからだろうか。大学生活に色々と無理が出て今や破綻している。

ここに俺が今年やってしまった後悔や悪行の数々を告白する。

まず、友人との勉強会をこちらから誘ったのに関わらず、ブッチする。
おまけに、電話や訪問、全てを無視して翌日、「寝てた」などというバレバレの嘘をつく始末。

これが春休みの出来事だが、そもそも春休みは彼女と家でグータラしたままロクに勉強もしなかった。

休み明けのテストはそこそこの点数だが、無論、良いわけがない。



去年の暮に始めた柔術も辞める始末。
理由は金がなかったこと。残高5$でさらに腹がへる運動なんか出来るかっつーーの!

しかし、それも反省がないわけではない。

ほとんど外食ばかりしてたツケが回ったに過ぎない。おまけに、柔術を継続するために、始めた日本語教師のバイトもなんだか面倒くさいという理由で辞めた。

無論、その為に揃えた教材そして柔道着の分は、まるまる損である。



極めつけは、これ。
国際学の単位を一つ落としてしまった。
それも猛然と勉強した結果ではなく、明らかにサボりの産物として生み出された結果だ。


あー、他にもあった。
雑誌からわざわざ取材の連絡というチャンスがあったにも関わらず、課題の忙しさを理由につけて、断った。


とは言え、勉強自体は課題はやってきたし、多少の自習はしてきた。



・・・が努力というには、おこがましい程の量しかやっていなかった。



国際学も授業の内容についていけず、最後の方はサボる始末だ。



・・・情けなすぎる。




一体、どこでどう情熱を失ってしまったのか。そもそも情熱などあったのか。




夢?目標?あったようななかったような。




ぼやけた今の頭では何も浮かばない。後悔と怠惰に襲われている。

何もかも捨てて、捨てて捨てて。

日がな一日アルバイトでもしてる自分しか思い浮かばない。







・・・そうだ。18歳の頃の俺は世界政府の樹立だとかというとんでもなく大きな夢まであったのに、いつの間に忘れていたというのだ。

日中韓の三国を中心に東アジア共同体の設立をしてみたいなどと思ったこともあった。


その為の理論構築が俺の目標だったのではないか。



彼女と甘い日々を過ごす内にそんなことまで忘れてしまったのか。



ただただ彼女と過ごしているだけで、甘く平穏な日々が過ごせればそれでいいと思ってしまったんだ。




俺の中にある今まで生きてきた積み重ねは一体何だったというのか。






もうダメかもしれない。完全に自分自身を見失っている。
女に骨抜きにされたのか?




今、今年の1月に書いた目標を読んでいた。分からない。あの時と今でどうしてここまで変わってしまったのか。やはり大学はそう簡単ではないということなのだろうか。





まだ冬休みが終わるまで時間は、ゆっくり部屋の掃除をして、自分の持ってる時間を武器を整備し直したい。こんなところではまだ終れない。終れない。


死んでも終れない。


どうか友人や両親がこの記事を見ても、何も言わないで欲しい。


必ず立てなおしてみせる。今までそうだったように、これからも。